初めての介護体験

宮坂イラスト

新しくバイトを探していた大学2年生の1月、検索サイトで『介護スタッフ募集』という広告を目にしました。
「4月にOPENする施設のオープニングスタッフとして働きませんか?」
と、シンプルな文言、『無資格・未経験・学生歓迎』と書かれているのを見て、介護って誰でもできるんだ、と思った記憶があります。

それまでの自分にとっては、介護は縁のないものでした。
家族にも知り合いにも介護をしている人はおらず、学校も文学部の為、福祉のふの字も聞かない環境…
ただこの時は、なんとなく気になって応募しました。

 

担当者の方と面接をし、自分が今から働く施設は『グループホーム』という場所であると知りました。「簡単に言うと、認知症の方が共同生活をする大きめの家だよ」
と説明されましたが、未経験で知識のない私にとっては
「なんじゃそりゃ」
という感じでした。まず『にんちしょう』ってなんだ、という状態です。

社会問題として取り上げられる今でこそ、認知症という言葉を聞けばイメージはつきますが、当時の私にとっては未知の言葉でした。
面接の中で認知症について軽く説明をしてもらいましたが、
(物忘れが激しい感じなのかな…)
と軽いイメージを抱いていました。

すぐに採用が決まったものの4月にOPENするまで、しばらく期間があるので別のグループホームで研修をすることになりました。
その研修で初めてグループホームを見ましたが、第一印象は面接してくれた人の言うとおり少し大きめの家という感じでしたが、中に入ると、広い玄関とエレベーターに驚きました。

「普通の家っぽいのにちゃんと施設なんだ」
とアンバランスさを感じているうち挨拶も終わり、勤務開始となりました。
鍵と暗所番号のついた扉(こんなに厳重なのか!と最初は怖かった)の中に入ると、数人の職員とたくさんの高齢者がこちらを向き、緊張が高まります。
まずは担当の職員さんと一緒に、一人一人の入居者に挨拶をして行きました。挨拶を返して自己紹介をしてくれる方もいれば、曖昧に視線だけを向ける方、聞こえているのかもわからない方、など色んな方がいました。明らかに落ち着きのない様子のおかしい方もいれば、一見すると普通に道端で見かけるおじいちゃん、おばあちゃんにしか見えない方もいました。
初めての場所で緊張している上、こんなにも大勢の高齢者を前にするのは初めての経験だったので、内心凄く混乱していました。そんな時に
「まず入居者さんの名前を憶えて、業務に慣れるまではコミュニケーションをたくさんとってください」
と言われ、さらに混乱しました。

(口下手で人見知りなのに!!)
と心の中で叫びました。自分から話しかけるなんて恥ずかしいし不安……と思いつつも、やらなきゃ始まらないと、思い切って話しかけました。すると
「若いわねぇ」
と嬉しそうな笑顔で手を握られました。思っていたよりも普通に会話ができたことに安心しましたが、結局「よろしくお願いします」と挨拶するだけで精一杯でした。
業務の流れを説明してもらい改めて見ていると、廊下やキッチンがあり、リビングにはソファやテレビ、食卓があり洗面台があり……見れば見るほど家でした。トイレが3つあったり風呂場に入浴チェアがあったり見慣れないものもありましたが、共同生活の場ってこういうことか、とここで初めて気づきました。

それから2か月弱、その施設でお世話になりました。
その2ヶ月の間にもいろいろな悪戦苦闘がありました。
人前で話すのが苦手でしたが、健康維持の為に体操やレクリエーションをやる時には、顔を真っ赤にしながら大きな声を出し、皆の前で声掛けやお手本をしてなんとか盛り上げました。
お風呂が嫌いな入居者を誘導することに苦戦しました。
「服をぬぎましょう」や「髪を洗いましょう」という言葉が上手く理解できない方に、伝わるような声掛けや手伝い方を模索して、実践したりしてみました。
トイレへ誘導したり定期的にパッドが汚れてないかの確認が必要な方に対して、確認が不十分で、食事の席でリハビリパンツの中に便をもらしてしまった上に、手をパンツの中に入れていじってしまい顔まで便にまみれてしまったことがありました。
食事の場面では、口があまり開かず飲み込むのも難しい方に対して、
「喉の動きや飲み込む時の様子をよく見て介助してください」
と教えられ、
「これでいいのか?」
「本当に大丈夫?」
と不安に思いながらも介助をしました。


少しでもムセ込んでしまった時は恐怖で仕方ありませんでした。
一番苦戦したのは、3食の食事作りです。
予め用意してあるレシピ通りに作るとはいえ、料理を作ったこともない大学生が9人分の料理を決められた時間内に作るのは大変でした。
2ヶ月が怒涛のように過ぎていったので詳しくは覚えていませんが、認知症とはどういう症状なのか、そして認知症の方の日常のお手伝いをするのはどういうことか、ここでの経験を通して、なんとなくではありますが理解し始めていました。

4月のOPENに向けて、3月になると建物も完成し、その記念会に合わせて、オープニングスタッフの顔合わせがありました。
同年代も何人かいましたが、40代やそれ以上の方も多く、まさに老若男女というメンバーが揃っていました。しかもほとんどが「介護経験はありません」という人ばかりで、会社を経営していたり、主婦だったり、出版に携わってたり、多種多様なメンバーで構成されていました。

本格的に施設が始まる前には、営業の仕事を手伝わせてもらいました。
慣れないスーツを着て、医療機関や福祉関係施設、ケアマネージャーが所属する事業所や役所、入居者を獲得するための宣伝に行く仕事でした。

会社として初めて建設する地域のグループホームなので知名度はほとんどゼロ、まずは知ってもらうところから始めなくてはいけない。当たり前のことですが、こうした地道な作業が大事なんだとここで教えられました。

4月に無事OPENを迎えたものの、入居者さんはたった一人・・・。職員は揃っているので、一人に対して4人以上の職員が対応だったため、最初の頃は介護をしている実感はなく、最低限の仕事しかしていませんでした。
数日後、ようやく2人目の入居者さんが来ましたが、入居後間もないある日、出勤してドアを開けると、口から血を吐いている入居者さんの姿が目に飛び込んできました。
突然の光景に大パニックになりつつ、とにかく夜勤明けの職員を呼びました。

どうしたらいいのかわからず混乱している間に、その方は救急車で運ばれて行きました。
知識も何もなかった私は、その後の説明を受けましたがまったく頭に入って来ず、結局何が起こったかわからないまま、その方は帰ってきませんでした。

しばらくして入居者も増えてくると、一気にグループホームの形ができてきました。
ある入居者さんは
「私はいつ帰れるの?」
と聞いてきます。
きちんと説明しても、5分後にはまた
「私はいつ帰れるの?」
と聞いてきます。一日の間に何度も何度も聞いてきます。
ふとした時に「家に帰りたい」と思い、不安になる様子でした。
私は本人が納得するまで話を聞くようにしました。こちらから説得しすぎると興奮させてしまう為、声の掛け方を考えながら会話をしていると、落ち着かれるのも早かったです。
ある入居者は職員の様子を見て、
「大変そうねぇ、私がやろうか?」
と、洗濯物たたみや食器拭きを率先してやってくれました。他の入居者さんのことも気にかけてくれる方でした。
しかし、あまり職員に迷惑をかけたくないという気持ちや、羞恥心の為か、失禁したパッドを自分でお部屋の中で処理していたり、自分でなんとかしてしまいがちでした。
本人の思いを尊重しつつ、抵抗のない範囲で介入する境目を考えるのが大変でした。
まだ介護の基礎もわからない私は、どこまで介入した方がいいのかもわからず、言われるがままに業務として介護をやっていました。引き際がわからず、拒否の強い入居者と口喧嘩をしたこともありますし、介入が上手くできず相手を怒らせてしまったこともあります。

ある時、キッチンの前で粗相をしてしまった方を見て、「あー!」と大声を出してしまった時には、先輩職員に
「ああいう時には大声は出さないで。大声を出すと周りが混乱するでしょう。そういう時は不安にさせないように対応しないと」
と注意されて、ようやく他の入居者が皆心配そうにこちらを見ていることに気が付いたということがありました。
共同生活の場という事を改めて実感した瞬間でした。

当時は週に1回から2回程度のバイト感覚でやっていた為、深いところまで考えず、教えられた業務をそれとなくやっていました。それでも確実に、私の中で介護への興味が大きくなっており、大学を卒業したら介護の仕事をしようと思うようになったため、施設長に相談すると、「介護に進むなら覚悟が必要だよ」と言われました。主婦のパートさんには、「大変だけど、あなたなら合ってるかもね」と言われました。就職活動で色々悩んでいる時に、相談に乗って後押ししてくれたのは、このグループホームで出会った年上の友人でした。介護を通してできた繋がりを大事にしたくて、私は介護のできる会社に就職しました。

大学卒業後、バイト先とは違う別の運営会社の介護付き有料老人ホームを経験した後、ふたたびグループホームに勤め、技術や知識を学びました。
私の注意で転倒させてしまったり、伝達ミスで迷惑をかけたり、目の前で息を引き取った方を見送ることもありました。
いろいろな経験をしていく中で、よりよいケアについて考え、入居者の為に自分は何ができるか、何の為にそれをやるのかを考えるようになりました。
実行に移せたものは数えられる程度のものですが、介護に楽しさだけではなく重要さややりがいをしっかりと感じたのは、介護を始めてから5年も経った頃でした。

初めて家族に「介護のバイトをすることにした」と報告すると、「大丈夫なの?」と心配そうな顔をされました。「介護って大変でしょ」と。
最初はたしかに不安でした。
テレビやニュースで目にする介護のイメージは、暴力や虐待、下のお世話など大変そうなものばかりだったように思います。(実際に働いて数年経った今でも、メディアから得られる介護のイメージはそう大差ないです。暴力や虐待の裏にある職員や高齢者の葛藤や思いは、働いて直接感じてみないと理解できるものではありませんでした。)
だからその時も「わからない」と答えていました。

介護の新人だった19歳の頃の経験は、当時は何のためにやっているかわからず、なんとなくこなしていたことばかりでした。介護経験を重ねるごとにその時のことを振り返ると、当時の経験はこういうことだったのかと気づいたり、あの頃こうしておけばよかった、と後悔したりすることが増えています。それは決して無駄ではなく、自分が成長し次へ進む為に必要な経験として残っているのだと、今では感じます。